2020.11.18ブログ
「どん底に大地あり」(担当:石神)
朝の連続ドラマ「エール」を観ていたら、原爆投下の長崎で、「どん底に大地あり」という言葉が書かれていました。
私たちは生きている間に、沢山のものを所有し、人がうらやむほどのものを手にしたり、誰にも譲れないものを抱えていても、一瞬にしてそのすべてを失ったら、私たちの多くは嘆き悲しみ、大きな苦しみを味わうことになるでしょう。
今から75年前には、原爆を投下された広島や長崎だけでなく、日本の様々な場所でそのような体験をすることになりました。
余りの惨状に、「この世に神や仏は居るのだろうか?」と思われた人も多かったと思います。
この「どん底に大地あり」という言葉は、当時長崎医科大学の放射線科の医師の永井隆先生が残した言葉だと知りました。永井医師は原爆投下後、長崎の子供たちのために図書館を作ったり、桜の木を植えたりし、復興のために尽力された方です。放射線科の医師ですから、原爆投下前から医療のため放射線を浴びており、また被爆したことも重なって、白血病がさらに進行して、死を早めたそうです。
絶望を前にして、神の存在を問うた者のように、なぜ、どうしてと自分の身をふり返っているうちは、希望はもてないと感じられたのでしょう。
どん底まで落ちて大地を踏みしめた時、希望という果てしなく甚大な力を自らの心の中に観た証がこの「どん底に大地あり」の言葉だったのでしょう。
病床に伏すようになってからは、如己堂(にょこどう)という、カトリックの信徒さんたちが建てた二畳ほどの小屋で過ごしたと聞きました。
如己堂の如己は「己の如く人を愛せよ」という聖書からの言葉から付けられたそうです。
ある有名な漫画作家の家が近くにあったことから、こんな話を聞いたことがあります。その漫画作家は自分の人生の悩みを教会の牧師に話したら、「片足だけではなく、両足をこの前の池に投げ入れてごらんなさい」と言われたそうです。
「ものの本質は悩んでいるだけでは何も観えない」とその牧師さんは捉えていたのでしょう。確かに何も観えないから悩むのでしょうけど。
悩みの100パーセントは、自分にまつわりついた執着心でしかないないということは、今ではよく分かります。自分の体験とともに「育った執着する心」を全て手放すために、池に両足を投げ入れることを勧めた話は興味深いです。
この文章を書いている途中で、こんな心境になりました。
「苦しみを知ることはいいことだ。苦しみを味わうことはこの世でしかできない。相対の世界では光を知ることができる。影が濃いほど、光も強い。どん底まで落ちるときっと大切な何かに気づける機会が与えられるのだろう。」と。
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