2021.09.10ブログ
落語の楽しみ(担当:石神)
少し昔のことになりますが、40代半ばの忙しい頃のことです。
新幹線で大阪に移動中に、隣の男性がCDプレイヤーを鞄から出して、落語らしきものを聞き始めました。
私は窓に映る風景をぼんやり眺めていましたが、しばらくすると、隣の男性はにやにやしながら聞き入っていました。時折押し殺したような笑い声が聞こえてきました。落語だな、どんな話を聞いているのかな~と思いながら、その人の横顔に目をやりました。
私と同様に、これから関西方面に仕事に行かれるのだと思いますが、実に幸せそうな笑顔が印象的でした。
飛行機で移動する時には、音楽に飽きて、落語を聞くことがありました。なんとも滑稽な世界に引き込まれ、疲れを忘れ、愉快な気持ちになった記憶が蘇ってきました。
そうだ、移動中には落語でも聞いてみようと思い、落語のCDを何枚か買い求め、新幹線を利用する時は、必ず旅の友として携行しました。
そのうちに、すっかりハマってしまい、家でも聞くようになっていました。
落語には、人情話として町人が主役の話、武士が主役の話、酒飲み話など、数多くあります。
与太郎話は、間抜けな失敗ばかりする人物として話されることが多いのですが、その間抜けさ加減に共感し、笑いの壺に入ってしまいます。ろくでもない人のろくでもない失敗を笑いに変えるこの粋な生き方には、現代社会が忘れてしまった寛容さと人間の優しさを感じます。
コロナ禍で心身ともにダメージを受けやすい日常にあっては、慣れ親しんだデジタルな思考を休ませて、少し無限に広がるアナログの世界に心を預けてみるのもいいのではないかと思います。
長い歴史の中で培われた小話には、滑稽さと人々の人情が絡み合い、どこかに生きる救いを感じます。
落語には、最後に「オチ」がつきますが、何とも言えない収まりの良さがあります。
こんな話を聞いたことがあります、糖尿病の専門医が患者さんの前で「糖尿病と糖尿病治療について」の講演をしたら、患者の血糖値があがり、落語や漫才を聞かせたら血糖値が落ちたという話を聞きました。やはり、笑いは逞しく生きるエネルギー与えてくれているのではないでしょうか。
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