2021.12.13ブログ
自分というイメージ(担当:石神)
NHKで放送されている「プロフェッショナル仕事の流儀」で流れてくるスガ・シカオさんのProgressという歌の中に、
「ずっと探していた~理想の自分って、もうちょっとカッコよかったけれど、僕が歩いて来た、日々と道のりを、ほんとは“ジブン“っていうらしい~」
という歌詞があります。
なかなか感性の鋭い、言い得て妙な表現だなあ~と感心させられました。
人は皆、自分の現在の姿を直視しているわけではなく、自分のどこかに「かくあるべきだという姿(理想の自分)についてのイメージを抱いて生活しています。ですから、思い描いた像(影絵)に憧れて、実際にあるがままの自分を観ることを避けているのかもしれません。
どうして理想の自分を思い描くのでしょうか。
私たちはこの世に生を受けた瞬間から様々な影響を受けて育って来ています。日本という国の歴史や伝統、文化、そこで執り行われる儀式や習慣、家庭での躾、両親からの期待、学校での教育、マスメディアの影響等々、あらゆる場所で自分のものの見方や考え方、捉え方に影響を受けています。
いつの間にか、自分なりの色付けされた判断や評価基準をつくり上げ、社会に適応しようとしていきます。そして、「つまずいているあいつのことを見て、本当はシメシメと思っていた」という、歪んだ競争意識まで抱いてしまう。
「世界中にあふれているため息と、君と僕の甘酸っぱい挫折に捧ぐ、あともう一歩だけ、前に進もう~」
という言葉が最後に続きます。もう、一歩前ってどこに向かっているんでしょう。
本当の自分に向かってなのでしょうか?自分の理想に向かってなのでしょうか?
人は既に条件づけられて育っていますから、「こうあるべき」、「こうすべき」「こうあらねばならない」といった思考に取り憑かれ、私も苦しんだ経験があります。
その頃、周囲を見渡してみると、理想の自分に翻弄されて「いわゆる優等生の苦しみ」を抱いて、未達成な自分を責めている人があまりにも多いことにも気づきました。
自分の中にある理想(優等生という影絵)像にしがみ付いているのは一体なぜなのか。
知らず知らずのうち条件づけられた自分、自ら条件づけている自分は、親の期待か、周囲の期待か、自分への期待なのか。
自分自身としっかり付き合うためにも、「自分というイメージ」に向き合うことは意味のあることだと感じています。
甘酸っぱい挫折やため息を吐かなくてもいい人生があるように思いますから。
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