2022.01.17ブログ
そこに愛はあるんか(担当:石神)
2022年、新年のお祝いを申し上げます。本年も宜しくお願い致します。
新年そうそう、「愛」というテーマで考えてみました。
車の移動中にFМ放送から若いミュージシャンたちのこんな会話が聞こえてきました。
「変な話なんだけど、愛って何かよく分からないんだよね。」
「好きとか嫌いっていう言葉は分かりやすけど。愛っていわれると、なんだかよく分かんなくて。」
「ドラマなんかで、相手に愛してるって言ったりする一方、彼(彼女)ではだめなんだ!と好意を抱いてくれている人を排除したりするじゃない。それはしょうがないことかもしれないけど。それって愛?」
「なるほどね~。そんなこと考えたこともなかったな~。でも、俺たちの曲でもIlove you的な歌って多いよね。」
「愛っていうと、好きーっていうのとは何か違った雰囲気というか、深みは感じるよね。」
「でも、正直よく分かんない。」
この三人の「愛」というの話を聞いていた時、「愛」って上手く説明できない不思議な言葉だなと感じたことを覚えています。
愛については誰も明確に答えられないし、ここからここまでが愛で、ここからは愛ではないと定義することもできません。
愛は頭で理解するものではなく心で感じるものだからなのでしょう。
私たちの間に何か対立があったり、他の人に違和感や分離感を感じた時に、そこには愛を感じません。
ある信販会社のCМで「あんた、そこに愛はあるんか?」という言葉を耳にしました。このCМのセリフは、私が仕事でコメントする時に、非常に便利で、しかもインパクトのあるコメント表現となり、良く活用しました(笑)。
例えば、自分たちの論理に偏った改善案であったり、方法論が優先されている解決策と感じた時には、「そこに愛はあるんか?」というフレーズとwith笑顔で質問をすると、抵抗なく見直しされることが多かったのです。
ミュージシャンの一人が言ったように、確かに次元が変わり、より深みのある見直しが図られたことも確かでした。
そんなある日、ある会社の会長からすてきな絵手紙が届きました。そこには、『愛って何だろう。それはとてつもなくおおきな力』という言葉と可愛い擬人化されたキャラクターが空にむけて両手を広げている絵手紙でした。
空に両手を広げている姿は、無限に広がる優しい気持ちや包容力を感じます。
その絵手紙は、今でも額に入れて事務所に飾ってあります。
私たちが心のどこかで感じている愛は、無限大であり、見返りを求めない無償の愛なのでしょう。
しかし、日常の生活では、自分自身の中に感じるエゴ心に翻弄されて、狭い相対的な心でそれを愛と捉えていることの方が多いかもしれません。いわゆる、愛と憎しみが共存するといった狭い世界観です。これを条件付き愛と表現する人もいますが。
好きか嫌いか、善か悪か、損か得かといったような二項対立の思考や感情にとらわれると、そこには愛は存在していません。
そのような相対の世界を超えたピュア―な心を自分の内側に感じた時、きっと幸せな気分でいっぱいになり、愛に満たされているのでしょう。そこには自由で囚われのない安らぎがあります。
真理に対極は存在しないように、愛という心にも本来、対極は存在しないのですから当然といえば当然かもしれません。
愛について知的な定義を試みるより、愛を感じない行為をあげてみると、一番分かりやすいかもしれません。
「そこに愛はあるんか?」を問う瞬間が最も愛に触れている瞬間ではないかと思います。
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