2022.11.04ブログ
風に揺れるシュウメイギク(担当:石神)
秋も深まり、心の内側を観るにはいい季節になりました。
散歩をしていると、庭先に秋明菊が少し肌寒い秋の風にそよぎながら咲いていました。
若い頃は秋という季節は物悲しい感じがして苦手でした。今では一年中秋でもいいかな~と感じるようになりました。
しかし、春夏秋冬があるからこそ、その良さや味わいを感じるのでしょう。
ここ数年、街中ですれ違う人、交差するエスカレータや階段を上り下りしている人達を見ていると、暗い表情をした人たちが増えたように感じます。
私たちの住む世界はこの青く瑞々しい地球の中にありますが、戦争や感染症の蔓延、度重なる災害や深刻化する食糧危機などに翻弄されているわけですから、人びとの心もその影響を強く受けているのでしょう。
ある宇宙飛行士は「眼下に見える地球の姿は、神々しいほどに美しく、こんな光景を見られることを光栄に思った」と述べています。また別の飛行士は「偶然できたものにしては美しすぎる」とも語っていました。
このような青く瑞々しい地球の中で、人間同士が相争い、ものごとに執着し、何かに追い立てられるように生きている姿は、哀れで、情けなく、悲しくもあり、また滑稽にも感じてきます。
この広大無辺の宇宙の中に、神々しいほどに美しい地球が創造され、その地球に身を置く私たちは大自然の様々な恩恵を受けて暮らしています。
宇宙の生命、地球の生命、わたし達一人ひとりの生命、動物の生命、植物の生命いわゆる万象万物は一つの生命から存在しています。すべて一つの生命エネルギーから成り立っています。この大地は私たちにさまざまな実りを与えてくれています。都会では経済活動が盛んなため、サラリーを得て、ものを消費するだけの生活に変わってしまったような感じがします。
私たちはその「生命が生み出す実りや喜び」を忘れてしまったのかもしれません。
風にそよぐ秋明菊が、生命の存在する場所に根をおろし、その生命にすべてを委ねています。そこには安らぎと平和を感じました。
万物の霊長と言われる人間だけが、問題をつくり出し、不安におののき、憂鬱になったり、悩んだり、時には、その現状に押しつぶされそうになるような妄想を抱いているのです。すべて自作自演の中で生きており、「生命の存在する場所に居ること」を忘れ、またその生命にすべてを委ねて生きることを拒絶しているかのようです。
自己イメージをつくり出し、生きようとするのは人間だけなのです。
その揚句、自分を愛せなくなる人も増えているようです。
人間だけが自分の存在を嫌うのは悲しいことです。
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