2022.12.01ブログ
ラーハという時間(担当:石神)
この「ラーハ」という言葉を知ったのは、NHK「こころの時代」で〝生きる根を見つめて〞というテーマで出演されていた小松由佳さんの話からでした。
学生時代は山岳部に憧れ、やがては世界第2位の高峰「K2」の登頂に日本人女性として初めて成功した小松さんは、その後アジアの砂漠や草原を旅する中でシリア人の人々に魅了され、毎年通い、やがてシリアが内戦に突入していく様子を現地で見ることになりました。現在はフォトグラファーとして、シリア難民を取材するほか、難民となったシリア男性を生涯の伴侶とするなど、激動の人生をパワフルに生きられている方です。
シリアの暮らしを取材するために滞在していた頃に、シリアの友人から「コーヒーでも飲みに来ないか」と誘われ、その場所に出向いて行くと数人のシリアの人たちが集まっていました。しばらく談笑していましたが、なかなかコーヒーが出てくる気配がないので、「コーヒーは?」と尋ねたら、「あっ、そうだね。」と言って、彼(恐らく今の夫)はコーヒーの豆を買いに出て行きました。そして戻って来たら、まだ青いコーヒーの豆を台所で炒り始めというのです。そして彼女の喉を潤したのは、優に3時間は過ぎていました。
その時、彼女は日本人であれば、コーヒー飲みに来ないかと誘われたら、美味しいコーヒーを飲みながらお喋りをするというイメージがあったのですが、彼らはコーヒーを飲むというより、お互いの会話を楽しみながら、そのくつろいだ時間を楽しむということに重きを置いていたんだということに気が付いたそうです。
イスラム世界には「労働」「遊ぶ」このふたつの時間に収まらない第三の時間を意味する「ラーハ」という言葉があるようです。ゆっくりお茶を飲む、家族や友人とおしゃべりする、ぼんやり過ごす、瞑想する、等々そんな風に過ごす時間だそうです。
日本語にはピタッと当てはまる言葉がないようですが、あえて言うなら「ゆとり」と「くつろぎ」を、足したような時間ではないかと言われています。
イスラムの社会ではこのラーハの時間を、頑張って働いたご褒美や対価としての時間ではなく、人が生きる上でも最も大切な時間であるとされているようです。
日本人も縁側で家族や近所の人たちと、お漬物とお茶で「憩いのひと時」を過ごしていたような時代がありました。今ではこのような時間はあまり見かけなくなってしまいました。
しかし、彼らが最も重視しているのは、仕事でも遊びでもないラーハと呼ばれる時間だと言われると、明確に「生きるという根」が違うんだなあと感じたそうです。
朝のラッシュ時に、電車が二分遅れているとアナウンスが入る東京にいれば、シリアの内戦から逃れて日本にやって来た彼女の夫は、「日本はいつも戦争状態にあるみたいだ」と呟いたのも分かる気がします。
人間とは何か、生きるとは何か、時間とは何か、心の安らぎとは何か、いろんなことが頭の中を駆け巡ってしまいます。
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