2024.04.15ブログ
孟子曰く「仁は人の心なり、義は人の路なり」(担当:石神)
今年も待ち遠しい春がやって来ました。庭には冬の寒さに耐えて、黄色い水仙の花が力強くよく咲いています。私たちも、春の日差しを全身に浴びて生命の喜び、心の輝きを感じましょう。
ニ千数百年前に人の道を説いた孟子という儒学思想家を紹介してみたいと思います。孟子は、私たちの存在について、このようなたとえ話をして、心の偉大さを弟子たちに伝えていました。
孟子曰く、「仁は人の心なり、義は人の路なり」 (原文)
孟子が言うことには、仁(=思いやりの心)は人が本来持っている心である。義は人の行うべき正しい道である。
「其の路を舎(す)てて由らず、其の心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。」(原文)
(ところが、今の人々は、)その正しい道(=義)を捨てて従わず、その心(=仁)を放ち失っても、その心を探し求めることを知らない。悲しいことだ。
「人は鶏犬の放たるること有らば、則ち之を求むることを知る。心を放つこと有りて、而も求むることを知らず。 」(原文)
人は(飼っている)鶏や犬が逃げ出すようなことがあれば、すぐにその逃げた鶏や犬を探し求めることを知っている。(しかし)本心を放ち失っても、それを探し求めることを知らない。
「学問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。」
学問の道というのは他でもない。その放ち失った本心を探し求めるだけのことである。」と。
孟子は、孔子の孫である子思の門人に学業の機会を与えられたとされています。後世に名を遺す人は、やはり良いたとえ話を添えながら、人々の心を掴みます。
私たちはとかく自分が発した言葉や行いが、すべて自分の心の中だけにあることに気づきません。相手を憎んだり、疎ましく思ったり、暴言を吐いたりする行為は自分の気持ちが満たされないから生じる言動です。
しかし、その行為は相手を攻撃したつもりになっていますが、同時に自分の心を攻撃しているのです。憎めば憎むほど、自分の心を傷つけて、暗い気持ちになっていくのです。自分の心が平安で満ち足りていれば、そんな言動は存在しないはずです。
自分の心の中に不安がよぎったり、恐怖感を抱くのも自分の心だけに起こっている現象です。心が安らいでいれば、あるいは孟子の説く仁(思いやりの心)に満たされていればそのような気持に苛まされることはないはずです。不思議といえば不思議ですが、自分の心の中で自分が勝手にそのような不安定な心をつくり上げているだけなのです。外側に起こる様々な現象は、すべて自分の内側に起こる心の投影です。
「人の本性は善なり」と説いたり、「怒りを蔵さず、怨みを宿さず」、「汝に出ずるものは、汝に返る」など、残された数々の言葉は、現在の私たちの心の指針となる言霊です。
あの中国の広漠とした大地で繰り広げられる戦国の世に、孔子や孟子の教えに触れた人々は、どの様な生活を送ったのでしょうか。人々の心が乾ききった砂漠のような時代に、心のオアシスを感じて生きられたのかもしれません。
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