2024.06.10ブログ
帰省して感じたこと(担当:石神)
5月10日から12日に故郷である三重に帰省しました。
既に両親も他界していますので、空き家と化した松阪の家の様子と墓参りを済ませ、その後は娘家族と伊勢と鳥羽を観光しました。
娘家族には、「皆で旅行できる機会も少なくなるかもしれないから、自分たちの行きたい所を選んで計画を立てていいよ」と伝えてありました。
私は中学生の頃に父母に連れて行ってもらった伊勢志摩スカイラインからみた見た英虞湾(あごわん)の美しい島々と夫婦岩のある二見ケ浦の風景を見たいとだけ告げてありました。その他のことは娘夫婦に委ねたため、娘はネットを駆使して、いろんなところを提案し、計画を立ててくれました。
以前に、伊勢神宮前で食べた印象の薄かった伊勢うどんも、ネットで探したうどん屋の伊勢うどんは絶品でした。店のおかみさんも、「少し離れたところにあるのに、海外からのお客さんもいらっしゃってびっくりしています」と話していました。さすがにネットの力は凄いと実感する旅行ともなりました。
また、鳥羽の海岸で海女さんがその朝に獲ったアワビやサザエなどを、囲炉裏で焼いてくれるお店に行き、海の新鮮な恵みも堪能できました。私は高校受験のため三重県を離れてしまいましたが、こんな素晴らしいふるさとに気づかなかったことに少し後悔の念を覚えました。
宿泊したホテルから海を眺めていると、さまざまな縁とお陰によって、今が在ることを感じました。
若い頃は感謝をすること、またそのお陰にも気づかない人生だったとしみじみ感じる旅行ともなりました。
物心ついた頃から、生まれた環境、受けた教育、ものの見方、日ごろの習慣、自分の願望などに身を任せて生きて来ました。
私たちの人生には「しあわせになる」という願いが常につきまとっています。それが原動力になって、前を向いて歩いているのだと思います。後ろ向きに歩いている人なんて、何かの訓練している人しか見たこともありません。心の中は分かりませんが。
この世で体験するしあわせ感は一人ひとり違います。
三重を出て、10数年経過した自分が出くわした苦悩は「生きるという疑問」だったのです。いつも何か満たされない、自分に自信の持てない、そのような自分の存在だったのです。
28歳頃からその苦悩が顕著になり、物事の焦りと相まって、自分の心には「しあわせ感」は遠のいて行きました。私が前向きに歩く原動力となっていたのは、「形としてのしあわせ」であったのです。その幻のような形を追いかけて、焦りとやるせなさを繰り返し、苦悩を感じていたのです。
その当時の私の心は平安ではありませんでした。しあわせ=平安な心という認識、自覚は皆無に等しかったのです。自分の心というものが全く分からなかったのです。
生まれた環境、受けた教育、ものの見方、日ごろの習慣、自分の願望などに身を任せて生きて来ましたから、自分の心を曇らせた因果関係にも思考の歪みもあまり意識を向けていなかったように感じます。仏教でいう無知、無明の姿だったのでしょう。
しかし、この苦しみが自分の内側から湧いて来なかったら、しあわせ=平安な心という方程式は私の心に宿らなかったかもしれません。その自覚が宿ったとしてもかなり晩年のように感じています。
ユダヤ教のタルムードという教えに、「最悪なことが最良なことだと、信じなければならない」という一節があります。まさに私にとって会社を辞め、1年間自己を振り返り、この苦悩を取り除きたいと思った当時は、最悪の時を迎えていました。それが最良のことだとはわかりませんでしたが、その最悪のお陰だと今はハッキリこのユダヤ教の一節が分かります。煩悩即菩提ですね。
オランダの哲学者であるスピノザはこのように言っています。
「ここ(真理)に至る道がいかに困難であろうとも、それは見出され得るものなのだ。その道はかくも見出し難きもの故に、困難な道であるに違いない。もし救いが既に手許にあり、それが苦しむことなしに見出され得るものであるならば、どうしてそれを拒否する人があるであろうか。~」
この言葉はいろいろな解釈が成り立つかもしれませんが、私は救いが手許にあるという真理を知らなかったために、また環境、教育、思想、習慣など、に歪められ、曇らせていた自我心のために、拒否しつづけてきたのだと思います。しかし、幸福であろうが不幸であろうが、心の平安は既にここに在ることを自覚できる人が一人でも多くなって欲しいと思います。
「聖なる場所は己の中に、癒しの心は己の内にすでにある」のですから
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