2025.11.05ブログ
「システム(関係性)コーチング」に於いて思うこと(担当:石神)

心ここにあれば、観えてくる世界
ある日、散歩をしていると、家族を乗せて慌ただしく出て行く車が目に止まりました。
普段はそんな光景に出くわしても、別に気に留めることではなかったのですが、その日にはこんなことを感じてしまいました。
今、急いで車で出かけて行った人たちには、この青空の美しさも、太陽の光も、道路脇の木々の緑も目に入ってはいなかったのではないだろうかと。
太陽があるのも当然、空があるのも当然、水があるのも当然、木々があり、花が咲くのも当然と思い、私たちの多くが暮らしがちです。自分が息をしていることさえも気づかずに過ごしていることも多いです。
![]()
「心ここにあらざれば、視れども見えず」という言葉があります。
私たちは洪水のように日々流れてくる情報の中で暮らしていますが、その多くが目に映るだけ、耳を通るだけで、意識に留め置くことも少ないのではないでしょうか。
また、「観る」とは、見えないものを見ることである、といった先人がいました。
「心をこめてあきらかに観るとき、そこに素晴らしいいのち、宇宙のこころが観えてくる。もっとこころを澄ませれば、私たちを取り巻く万象の息づかいや気配が感じられるだろう」と。
「生かされていることに感謝しなさい」と言われても、この大自然の営みにまで思いを馳せて日々生きている人はどれくらいいるのでしょうか。
世の中は「経済、経済」で動いています。働くこと、生きることにはいろいろな考えや想いを抱きながら暮らしていますが、私たちが暮らしていける根本的な基盤にはあまりにも無関心のように感じる自分がいます。

システム(関係性)コーチングに触れてから、よく感じることがあります。
たまたま車座に座ったメンバー同士も一つの生命体を形成しているわけです。お互いの放つ言動、想いはすべて対面しているメンバーに影響を与えています。一つの生命体の中で、メンバーの心のエネルギーが鍵を握っているということになります。
この「システム(関係性)コーチング」の世界では、すべてがエネルギーであり、関係性で成り立っていると感じています。
ここに居るメンバーの一人ひとりの存在は創造原理の源なのです。
最初のセッションでは、疑心暗鬼のような気持ちを抱き合いながら集まったメンバーも、「心ここにあらざれば、視れども見えず」という現象から、やがて心をこめてあきらかにメンバーを観るという意識現象に変わっていくのです。
私たちはセッションを繰り返していく過程で、物質の制約を超え、持ち込んだ観念の制約を超え、お互いの理解と協力が深まっていくことを、何度も体験するのです。
そして、お互いの発している生命エネルギーの流れと調和をしながら共鳴する生き方が生まれてくるのです。
メンバーの意見が繋がり始め、共に一つの建設的な納得のいく提案へと導かれていくのです。個々人の中の側面を認め、受け入れていく過程でもあります。
そしてその気づきは、最も純粋な形で受け取ることが出来る貴重な機会(時間)となっていくのです。精神的な教訓や学びとしても捉えられる機会でもあるのです。
個人個人の選択が、文字通りこのチーム、さらにはメンバーの所属している職場、あるいは組織の未来を創造しているのです。
それは、すべての存在が「信頼と調和」という共通のエネルギーの中で、メンバーの持ち寄った課題を解決していく、生きた世界が広がるのです。
メンバーの過去に制限されていた感情や思考が解放されることで、メンバー自身が可能性を持つ存在であることに気づいた瞬間の喜びに触れることができるのはこの「システム(関係性)コーチング」だと思うことが度々あります。

「職場の問題解決」というテーマで、過去に課題を中心に方法論で進めたアプローチより一見遠回りに感じるこの「システム(関係性)コーチング」は、「心ここにあらざれば、視れども見えず」という言葉のように、組織文化、職場の在り方に大きな進展や改善をもたらす機会をはらんでいると感じています。それは思いもメンバーの思いもよらないエネルギーによって次元を超えた新たな方向性を見出すことにも繋がっています。
シェアする


